【自戒】”Cannot”に”do”を求めるな
Cannotにdoを求めるな、私が言い伝えたい言葉です。
人は誰しも、できないことがたくさんあります。
少し過剰かもしれませんが、
できることは有限で、できないことは無限です。
日本社会は、「Is Can?」の前提を無視し、「Do」を要求します。
できてもできなくても「する」ことを要求するんです。
学校教育などでもそうです。ただ、学校教育は日本社会ができないことに対して寛容になるにつれ、
できないを許容していきます。できないことをさせるのにかかる教員負担が大きすぎるためですね。
マネジメント能力が皆無なのに管理職、手際が致命的に遅いのに製造レーンのボトルネックを担当している、思考力がカスなのに発案チームにいるなど…
いろいろな"無能"が世の中にはいます。
ただここで一つ、私たちは「無能」という言葉を使い他人を測りますが、
私たち自身もまた"無能"であるということを忘れてはいけません。
「できない=無能」と一般の人は考えてしまいがちですが、n(できないこと)=0となることは絶対にないからですね。
ただ、そのものさしを「身の丈もわからず挑戦して他人の効率を下げる」という条件に変えると、それは現在の無能という言葉の使い方と意味が合致する気がします。
また、無能は悪いことではありません。はい。
「馬鹿は風邪を引かない」なんて言葉があります。
同じように
「馬鹿は身の丈を知れない」んですよね。
なので、できると思い込んでどんどん出しゃばってきます。
できないのに。
本来、私たちは「なぜできないのにでしゃばるの」とイライラするのではなく、
「なぜできない人がすることになる前にできる人が名乗り出なかったのか」を考える必要があります。
なぜなら、それを考えないと同じことが起こる可能性が残り続けるからですね。
そして、過ぎてしまったことは変えられないので、
出来ない人がすることになってしまったことについては忘れ、「そのできない人から仕事を奪い、できる人が回す」ことを考えるべきなのだと私は思うんですよねー。
また、できる人は「経験がなく、do notをしている人(避けている人)」にタスクや経験を得るチャンスを配分し、常に補助のある環境で安心して経験をしてもらうことによって、個々や全体の能力を底上げし、「リソースの代替」を確保するということも同時に考えるべきだと思いますね。
それができる人に与えられた使命だと思うんですよねー僕は。
私がこの考えに至った理由
岡田斗司夫さんには本当に頭が上がりません。



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